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眠い。とても眠い。眠いのに、どうやら変なスイッチが入ってしまい、アドレナリンが放出され、ゆえにわたしを起こし続ける。
しんど。 来週末の「あおもり古書市」参加が実は急に決まったので、バタバタと準備しておりました。 昨年の試作品からグレードアップした近代詩歌コラボの「イラスト詩歌カード」を置きたいというのもあって、それに合わせてお店は大正浪漫な雰囲気にしたいと思ってます。 それでね、こんなイラストを描いてみました。 お店のイメージイラスト! お気づきの方がいるかもしれません。そう、この構図、竹久夢二のお店「港屋絵草紙店」の写真が元になっています。 夢二の元奥さんのたまきさんが店主で、ちょうどこの女の子のようにショーケースに腕を掛けている、とても素敵で粋な写真です。 わたしはすぐ影響受ける人間。「なんで黒猫描いたんだろう」と思って、いや、これって黒船屋の黒猫だろうと。なに「なんで」とか言ってるんだ、そのままだろうと笑。 潜在意識とかじゃなく、もはや直。 この絵のカードやタオルハンカチも用意します!(タオルハンカチ納品間に合うか微妙!) 10月前半はちょっと時間に余裕があったせいか、しゅーんといろいろ考えていたのですが、 このところはいろんな準備やありがたいお声がけで、バタバタと過ごしています。 考える時間ってのは良い面と悪い面があるよねぇまったく。 昨日、戻ってきたBunkamuraの展示の荷をやっとこさ解きました。 グッズ、どれだけ残ったかなぁとあまり期待せずに開いたら、なんと、結構お嫁に行ってくれたことがわかり、力を入れている「イラスト詩歌カード」は一冊を残して皆どなたかの手に届いたようです。 嬉しい…! 嬉しいぜよぉ…! 「一体誰がわたしの作品に触れてくれるだろう」と、ぼんやり、多少卑屈に考えることがあります。それが自分の距離から離れれば離れるほど、度合いは強くなる。 雪深い山奥育ちとコミュニケーションを楽しめない時間があったせいか、閉ざされているという感覚がどうしてもあります。 真っ暗な夜に電灯に頼りなく照らさせて、しんしんと細かく降る津軽の雪は、薄いヴェールのようなのですよ。 それがずっと、他者との間に降り続いている。そんな感覚が昔から続いています。 ええ、津軽の雪はすごいのです(いまは温暖化でだいぶ変わったかもなぁ)。 だから届いたという実感が結構思いがけなくもあって、嬉しい!と一言いうと感情高ぶってるだけな感じがしますが、他にもじんわりと暖かいものがあるのです。 受け取ってくださった方、ありがとうございます。 古書市でもお届けできるものがあったらいいなぁ。 はぁ眠い。 眠いときに書くことに、あまりよろしいことはないと人の言う。 とりあえず皆さま、よく眠りましょうね。 なんだか最近はまた疲れる情報が多くなってますしね。 この季節は気温差もあって、 きっと深くぐっすり 眠り甲斐があるというもの。 zzzzzzzzzz……… ▲
by loopmark1210
| 2020-10-30 23:43
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11/7(土)、8(日)、アスパムで開催の〈 あおもり古書市&芋フェス 〉に「Loopmark絵草紙店」として出ます!
提灯掲げた!(巡輪=Loopmark) 大きなイベントでは、久しぶりの単独出展です。いままでは誰かとコラボという形が多かったのです。 しかし、場所は仲良くさせていただいてる〈古書らせん堂〉さんのお隣!嬉しい! 近代文学オマージュの〈イラスト詩歌カード〉や、大正レトロ風のものも用意できそうなので 古書市らしく、この名前に。 年内最後、イベント出展は今後も未定。 古書市は昨年スタートしたばかり、前回らせん堂さんのブースにゲスト参加させていただき、とても楽しい時間を過ごさせていただいた思い入れのあるイベントです。 その第二回。 こんな時期ではありますが、皆々様にお会いできたら嬉しいなぁと思っています。 新カード等を準備中、クリスマスカードもあるよ🎄🤶 よろしくお願いします! 歯列矯正中だけどかじりつきたい! ▲
by loopmark1210
| 2020-10-29 07:10
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吾輩は歯なしである。上下左右4本ない。
(唐突猫であるオマージュ) 昨年から歯列矯正を始めた。今月で一年と四ヶ月が経つ。 抜歯をしたのは今年の八月、つい二ヶ月前のこと。 わたしを知っている方ならご存知だと思うのですが、わたしは元の歯並びがかなり悪いので、まず揃えるまでにこれだけの時間がかかってしまった。 歯列矯正で検索すると、治療の始めにまず抜いてしまうところが多いらしい。 わたしの行っているところは非抜歯矯正もやっているので、先に「まず並べてみましょう」という方針だった。たぶん「いえ、先に抜きたいです」と言っても穏やかに却下される、そのくらい抜くことには慎重に思えた。 並べてみて、やはり生まれながら顎が小さいために大変おかしな感じになった。 まず前歯同士が閉まらない。どうしても隙間が開いてしまうので全く噛めない。飲み物も出てくる。なんならご飯中に会話してると、口の中のものが出てきてしまう。 なんだか呼吸もスゥスゥ出て行きがち、息が浅い。 そしてなにより困ったのが、睡眠中に横向きになると、口からよだれが流れてしまうことだった。 というわけで半ば心待ちにした形で、じゃあ抜きましょう、ということになった。 しかしながら抜歯は、、やはり怖かった。 当日、人差し指に小さな血中酸素計を付けてくれたのだが、過度の緊張から高い心拍数を更新of更新。 これはまず落ち着いてもらってからだね〜と先生は穏やかに笑い、 診療台のリクライニングをベッドぐらいに倒して、お腹にもふもふのタオルケットをかけてくれ、部屋を薄暗くし、なんだかアロマ的な香りも漂わせてくれたような…?? わたしは単純なので、リクライニングを倒してタオルで視覚を隠されると寝てしまう。 美容院でも、洗髪してもらってるあの短時間で寝てしまうほど。 それで一気に状態が落ち着き、なんとわたしはそのまま半寝状態で、その日、歯を一気に二本抜いていただいたのだった。 歯列矯正を始めるとなったとき、どこの歯医者にするか、というのがまず悩むところだと思う。 それで、何箇所かカウンセリングに行き、比べて決めるというのが一般的らしいのだが、わたしは知人の方が、以前からいまの歯医者さんを勧めてくれていたのだった。 とにかく先生が熱心なんだよと。 その推薦の熱もまたすごかった。 そして、一箇所目にそこを訪れ、先生と対面した瞬間に、ふんわりとした雰囲気が放つ安心感と説得力から「ここにしよう」とあっという間に決めてしまった(予算内に収まっていたというのももちろん大きい!)。 この安心感と説得力ってかなり大事なのではないかと思う。 ただでさえ口の中をいろいろいじられ、金属を嵌め込まれるのだ。やはり相手を信用していなければ、矯正自体「嫌なこと、我慢しなければいけないこと」になりかねない。 その心労を避けるためにも、印象の確認と、コミュニケーションできる人かどうかはしっかり見極める必要があるのでは、と思った。 ちなみに十年くらい前にも一度相談したことがあった。そのときはおじいちゃん医者だったのだが、これがとても失礼な人だった(幼少期に矯正させなかったと我が親を悪く言った!)。 そして、いまより20、30万くらいは高い価格を提示されたのだが、そこの設定価格が高かったのか、十年間の技術革新で今その分安くなったということなのか…? 自由診療はよくわかりません。 その他矯正で気付いたことが結構あるので、またこれについては折を見て書こうと思います。 うーん、このブログでは珍しく、結構有益なことを書いたような気がする。笑 つれづれに言葉を書いてみようと決めて少し経ち、こういう役に立つことも(あまりないけど)書いていこうかなと思っております。 言葉をもっと使ってみたい時期なのです。 本日、無惨様描いたら、喜ばれました。 本文とは一切関係ありません。 ▲
by loopmark1210
| 2020-10-27 00:30
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先日開催していた「イラストレーターが挑む寺山修司の言葉展」に出展させていただいた拙作に、詩を添えた動画をYouTubeに公開しました。
こちらからどうぞ。↑ 版権元のテラヤマ・ワールドさんに許可をいただき、掲載させていただきました。 スマホで慣れない動画編集を何時間も四苦八苦。 ご覧いただけたら嬉しいです。 エキサイトブログのYouTube貼付機能が全く機能しておらんのです。 こちらのブログ、ほんとに世の中に出てるのでしょうか…というくらい、いろんな機能に疑わしさを募らせております(もう書いてしまう)。 今後はnoteとも同時コピペでやっていこうかなとも考えています。 イラスト更新は現在インスタの方中心にやっております。 🌟インスタグラムhttps://www.instagram.com/loopmark_ss/?hl=ja Twitterはこのところは日々の短文、リンク&情報お知らせ、つれづれ用 https://mobile.twitter.com/loopmarksachiko 🌟note(開発途中) よかったら、ご使用のアプリでもチェックしてみてください。 ▲
by loopmark1210
| 2020-10-24 01:03
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先日、父がちょっとした困りごとに巻き込まれたので、当人ではないけども、わたしが担当の窓口に電話してみた。
電話口のおじさんは穏やかで丁寧なお声をしてらして、一通り事情を説明したあとに、詳しくお話を聞きたいのでこちらに来れますか、と言う。 これまでも面倒ごとを起こしてきた父のこと。時間を削られるのはまっぴらだったが、なんだか不思議とそのお声の主に会ってみたい気持ちになった。 主は、70代くらいの白髪まじりのおじさまであった。目がくりくりと大きくて、度の強いレンズ越しにそれは少し歪んで見える。 なで肩で痩せ型で、物腰がなんとも柔らかく、ちょっと良い匂いもして(柔軟剤かと思われる)、つまりとても「癒し」要素の多いお方だった。 声から抱いたイメージに、どんぴしゃぴったりカンカンであった。 危険要素の全くない、ひたすらに親切すぎる「ゴラム」(byロードオブザリング)とでも言うべきか。 結果、当人でないわたしにできることはやはり限界があり、解決の知恵を受け取ることくらいしかできなかったのだが、 そこを出て外気に触れたとき、なんだかもう、まるですっかり何もかもが解決したような気軽さに溢れていた。澄んだ秋晴れの日であった。 これはひとつのマジックだな、と思う。 会っただけで心に作用する人、というのがいる。 そういう人が持つ雰囲気、印象、どうしたらそうなれるのかと思う。 しかし、そういう人はたいてい、特別な存在感として選ばれた「声」を持っている気がする。 亡き祖母の晩年は、どこの家でもスムーズにいかないようにゴタゴタがあった。 そのとき、担当のケアマネージャーさんと何度も電話でやり取りしたのだが、その方も穏やかな、人を安心させるお声をしていた。 その人と話すだけで、「これはいつか形を得る物事であるのだ」と思え、結実が遥かにでも見えることに、どんなに励まされただろう。 結局、いろんな流れでそのケアマネさんとはお会いしないで終わってしまったのだが、またあの声に出会いたいなと思っている。 サービスの窓口で嫌な思いをした、という人はたくさんいる。わたしなんて、詐欺の一味だと疑って口座を開設してくれなかった郵便局員の、防犯マニュアルめいた声をいまでもはっきり覚えている(学生の頃、なんだったんだあれー!)。 しかし、まぁそういう対応自体が間違っている人は置いておいて、誰もがあんな声や存在感を持てるわけがないのだから、基本窓口に期待するのも良くない。 なぜならもうあれは天性のものなのだから、 物腰、対応、そして声、すべて天職たる「天性の才」を持つ人による「天性の窓口」なのだから、 比べたところで仕方がないのだ。 その窓口の人に当たったことは、単に運が良かったのだ。 (いや、今回のことがないのが一番運が良いことなんだけど…) よく宝くじは、「窓口の人が笑顔のところだとよく当たる」という。 ところで最近、ずっと通過するだけだった宝くじ売り場の女性が、ニッコニコのおばさまに変わった。もうその弧の字を描いたニッコニコの口元が、遠くからでもわかるレベルなのである。 「いらっしゃいませ〜」に聞き耳を立てる。高らかと天に響くラッパのようなそれは、大変に縁起が良さそうではないか。 わたしは珍しく立ち寄り、珍しく多く買ってみた。二枚買うスクラッチを五枚も買った。 天性の窓口は、天に願いを届けてくれるか もし当たったら、 父親にアマノフーズの豪華みそ汁セットくらいは送ってあげる。 お前さん、どうしてそんななっちまったんだたい? 本日で企画展、無事終了となりました。 足を運んでくださった皆様、作品を見てくださった皆様、どうもありがとうございました。 ▲
by loopmark1210
| 2020-10-22 17:12
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「わたしは環境が許しさえすれば、竪穴式住居に住みたいんだよ」
と、数年前、引っ越してきたばかりのYちゃんが言ったのを思い出した、急に。 その頃わたしは、まだ筋トレを始めていなかったので、どうにも気力がなさすぎる生まれ持った体に不自由さを募らせていて、 「SF映画や攻殻機動隊みたいに、テクノロジーで体を更新する時代に早くなんないかな」 と思っていた。 原始に戻りたいYちゃんと、さっさと未来に行きたいわたしとの対立構造で、かなり熱っぽく持論を言い合った。あれは確か夜中のガストだったかココスだったか。雨が降っていた。 鮮やかな多色のネオンが水たまりに映って、「サイバーっぽいな」と思ったのを覚えている。 Yちゃんは、かつて実際にその世界に行きたくて、一度自然派の人たちが集まる有名な集落で生活をしてみたそうだ。 そして、惜しくもそこはやりたい仕事が成立する環境ではなかったために、泣く泣く仕事を選んで出てきたというわけだ。 やりたいことと環境が一致しないなんて、確かに竪穴式住居からかっちりスーツの会社員は難しいのかもしれないけど…と当時驚いてみたけれど、驚いたのは絵的なインパクトに対してだけであって、 わたしだって結局、大方そうだったのだ。 一致しないことだらけだったじゃないか。 それで悩んでばっかだったじゃないか。 そうなると、成立しないならしないなりに、すり寄る中間点を見つけるしかない。 Yちゃんは当時あれだけ持論を白熱展開させたほどだから、その後苦労したのかもしれない。しかし、いまは良い塩梅の中間地点を見つけられたようである。 もちろんそれは、青森という自然多い土地柄が可能にしたのではないかと思う。 (竪穴式住居には住んでいません) ところで、このところ、Yちゃんは異様に元気があった。 それはコロナ禍による自然回帰の流れのためかなと推察する。わたしはYちゃんに今年、青森の自然のことを教わった。攻殻機動隊時代早く来いと言っていたわたしが、である。 そして、わたし自身も変化があるような気がする。 それは前記事でも書いたもどかしさの改善について。遠地でのネット配信。来て、ではなくて、届けるという意識など。 不自由なる体をここに置いたまま、ネット(電脳)で仮想空間につながるなんて、そこで体験を共有できるなんて、なんとも攻殻機動隊っぽい、いやどちらかというとマトリックス。首にプラグは挿してないけどさ。 つまり、数年前のわたしたちの会話、理想が、いま思わぬ形で実現に近づいている。 こういう事象って名前、なんか付けておきたいね。 自然とともに仕事を成立させたい。 遠地との距離感をなくしてほしい。 思えばこれまでも、完全に不可能ではなかったのだ。できる人は実行していた。 そうしたいという人数が今年の春あたりにドッと増えた。 個々の思いが社会変化となるまでは、コロナ禍レベルのインパクトが必要になる。このインパクトのさらなる変化は、のちに「◯◯革命」と名付けられるのだろうか。 ガストだったかココスだったか、で、Yちゃんが特に熱弁したひとことを覚えている。 「実感てのを大事にしたいのよ。実感する、というのは唯一人間であるってことなんじゃないの? それだけは捨ててはいけないんじゃないの?」 あのときと、いまと、実感の定義すら少し変わってきたように思う。 例えば、バーチャル竪穴式住居で生活して実際にそれを「実感」したと明言できるということだって、起きてくるのかもしれない。 それが、わたしとYちゃんの中間地点なのだろうか。 だが今は、森に行って風にふれ、草の葉に触れることをまだ「実感」と呼んでおきたい。 当時Yちゃんが感じ、伝えたかった畏怖を、ちょっとだけわたしも今感じるのだった。 猿のようにたくましく(inむつ市)。 お互いにすっごい体、掻きむしり合っていた。 展示会は明日までとなっております。 東京Bunkamura Box Gallery 「イラストレーターが挑む寺山修司の言葉」展 挑んでいる。 ▲
by loopmark1210
| 2020-10-21 14:05
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地方を拠点としてるので、いつも東京の展示に参加させていただくときは、気にして見てくださる方はいるんだろか、と漠然と思う。
そんなとき、友からの行くよ報告はとても嬉しい。 しかしやはり拠点ではない場所というのは、霧の向こうに届けるような心許なさがあって、こればかりは慣れない と、企画展開始前の10/15のTwitterで書いておりました。 あれから、お友達やお仕事で知り合った方、尊敬する方から〈見てきましたよ報告〉をいただきました。 わたしはたぶんこの豪華なメンバーの中で、かなりな「誰やねん」状態なのではないかと思います、情報としても。 どうも、細々と描いてるものです。 本州最北端住まいということもあって、遠征で知り合った方と存分に交流を図れない。 なんとももどかしいと思い続けてきた。 むしろこのもどかしさは、活動を始めてからずっと思考テーマのひとつになっているくらい。 面白い企画が開催されてもすぐには行けない。エキサイティングが通り過ぎていく、ああ、もどかしきことこの上なし! 交流が十分にできてない申し訳なさを抱きながらも、〈見てきましたよ報告〉をいただくと、ああ、行ってくださったんだ…と一瞬しんみりとなり(恒例申し訳なさ)、じわじわと嬉しくなり、お会いしたい思いは募る。 でもこの頃は「Zoomでも参加できますよ!」という新展開もあって、これはまだ未体験なんだけど、とてもワクワクしている。 一度行ってみたいイベント企画がネット配信を開始したり、演劇やライブもそうなったり、もどかしさを打開する可能性がこんな機会に広がるとは思いもしなかった(もうへそ曲げなくてもいいのかしら)。 ただね、同時に足を運んでいただくことは、ほんとに当たり前でないと思ってるんですよ。 自分がなかなかできない分、そう思います。 そして、もうそれは十分貴重なことであるように思えるし、さらに貴重なことになっていくような気がします。 見ていただいてありがとうございます。 木曜日までどうぞよろしくお願いします。 貝とか布の装飾、青森から行ったスタッフさんが記念館で展示した際の写真を見ながら設置してくれました。ありがとう。 動画も送ってくれて、そのうちそれを貼りたいんですけれども、 このブログ、動画対応してないみたい。 このブログ自体が閉塞感…?? もどかしきブログ。。 もどかしきときはブラックカフェインパンチ ▲
by loopmark1210
| 2020-10-21 01:14
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両親に似たお二人に会った。
と言っても、彼らはわたしより年下で、なんならわが両親よりもずっとしっかりしてらっしゃる雰囲気をお持ちなのだけど。 「わたし、運転できないので、移動は夫頼りなんです」 この地方の町で車を使用できないというのは、なかなかの不自由ではないだろうか。すぐにそう思ったが、 お二人はご夫婦でひとつの事業をされているから、生活時間はいつも一緒、車が必要となれば旦那さんがいつでも出せる状態なのだ。 わたしの母も車の運転はできなかった。 というか、自転車に乗ることもできなかったくらい、「なにかを操る」ということを苦手としていた。 しかし、母と父は同じ事業を運営していたので、やはり移動はいつでも父によって解決されていたのだ(あとはバス)。 話を聞いて珍しいな、と思いながら、すぐに車内での様子が想像できた。 母と父、二人で前の席に座り、子どもにはわからない仕事のことを、いつもより低めの声でひっそり話し合っている。 時に嬉しそうに、時に眉間にシワをよせ、時に思い切り仲違いをしながら。 子どもたちは後部座席の隙間から、その様子をさりげなく繊細に察知する。 そして、ひとつの会話が終了した間合いを見計らうと、さぁいまだ!とばかりに、アニメのテーマなんかを歌い始める。 母は驚いて振り返るが、もうその顔は働く事務のひとではなくて、馴染み深い日常の顔に戻っているのだ。 こうしたオンオフが、わたしたち子どもによって時に切り替えられることを、わたしたちは楽しんでいたように思う。 もちろん、単に歌いたいから、というのもある。 二人は「両親」以外に、なにかしらの共同体で、それはどうやら難しさを伴うものらしい。 そんなことを、わたしは幼少期、父の運転する車の中で覚えたような気がする。 そして、父と二人で出かけるときなどに、母のものである助手席に座れるというのは、ひとつの特権のようで嬉しかった。 わたしもその共同体の一員になれた気がして、得意げになったのだ。 別れの挨拶をして外に出ると、仕事回りのための荷物を積んだ白いミニバンが、玄関の前に寄せられていた。 わたしの先ほどの想像は、さらに具体的な外観を得たことになる。 微笑ましく眺めながら、自分の車に乗り込んだ。 ふと、もう一度、叶えられたらいいのにな、と思う。 助手席に座った母の後ろ姿。 わりにしっかり記憶に残っているけれど、もう一度後部座席から、なで肩の彼女を見つめてみたいなと思うのである。 ところでミニバンって全くミニじゃないのに、なんで「ミニ」ってつくのだろう。 ずっとジムニー(軽自動車)的なものを想像していた。 参加している企画展が木曜日までです。 趣味がこうじて作った寺山修司ブローチ、ラス1という連絡だけをスタッフさんよりいただきました。ありがとうございます。 渋谷Bunkamura Box Gallery 「寺山修司の言葉展」 ▲
by loopmark1210
| 2020-10-20 16:34
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「現代小説、読んでみたいんだよね」と、ふいにLINEでやりとりしたのは、真夜中のことだった。 驚いたことに友人は次の日、出勤ついでにうちの玄関前のボックスに、袋いっぱいのオススメの本を置いて行った。 ということで、近代文学ばかり浸っていたわたしは一気に現代小説を読む流れに変わった。 しかも、彼女のセレクトではなぜか女性小説が多い。 いま、借りた本の七割ほどを読み終えたところ。 言葉というものは積み重ねる量が多いほど、じっくり染みていくのだな、と実感するのは、この短期間であっても、小説の影響を受けて女性としての自分について俯瞰的に考えるようになった気がするからだ。 川上未映子さんの「乳と卵」は、わたしからすると「よくぞよくぞ描いてくださった!」という感激ばかりだった。 文学的に優れているとか、そういうことはよくわからないが(樋口一葉リスペクトの文体は斬新だった)、 よくぞわたしたちが口に出さず秘めてひた隠しにし、偽の納得心で進むしかなかった孤独を書いてくださったと、自由にしてくださったと、心の中で盛大な拍手をしていた。 それは個人の胸に響くという意味で、小さな革命である気がしていて、 それが万人になったときに動いていくことを想像すると、シビれた。 作品発表から10年ほど経っている。 読後、川上さんのことを調べた。 川上未映子さんはやはり先頭に立って、広く広く目覚ましい活躍を見せてらっしゃった。 うお、シビれる。 近代文学の、もうこの世にいない先人たちの言葉に触れるとき、わたしはどこかで安心していたのだった。 彼らが言葉でもって巻き起こした社会的な動きは過去のものになっている。完結されている。 そうなれば、発掘する考古学のように、古きを知る中に自分個人だけが、沈黙の中で新しさを見つけに行けばいい。 けれども、現代にあって言葉をつむぐ、ということは、人を巻き込み、社会的な未来の動きを担っている、ということでもある。 このことを、わたしはずっと、今日の今日まで知らなかったのだった。 近代文学と現代文学、 この違いはとても大きいし、またそれゆえにこの行き来は想像以上に面白いことなのかもしれない。 そして、おそらく通底する部分にこそ、大いなるものがあるような… これは、読書の楽しみというひとことで納めていい感覚なのだろうか。 なんだか、興奮している。 勢いで書いているので、わたしの文章、読みづらかったらごめんなさい。 上手くなりたいのだけれど。 渋谷Bunkamura Box Galleryでの「寺山修司の言葉展」始まっています。 木曜日までです、よろしければぜひ。 ▲
by loopmark1210
| 2020-10-18 23:45
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先日、感情的なひととの付き合いに疲れたという友人と、彼女の車の中でじっくり話した。
ともに遊びに出かけて家の前まで送ってもらったのだけど、なんだかんだいつもそれから一時間は語らいの時間となっている。 さっちゃんは感情的にならないから落ち着いて話ができる と、彼女は言ってくれ、とてもとても嬉しかったのだが、 それは家族に感情表現の大きい(言い方を変えると激しい)ひとがいたからだけなのだと、その場でことわっておいた。 ある意味、客観視できることが自分にとってブレーキになっているだけなのだろう。 しかし、それはただブレーキに過ぎない。素質である感情の隆起は、やはりはっきり存在している。 内側から沸き起こることに、どう折り合いをつけていいかわからないときは頻繁にある。 「感情は引き出しのように、訓練すれば出し入れをコントロールできる」と、ベストセラー『嫌われる勇気』に書いていた気がする。 執念、執着を持たなければ、大きな起伏にはならないのだろうか。 面倒だなぁ、と思う。 人間というものは、まことに面倒である(誰 というか、自分自身が面倒である もっと表現として、解放できるのではないか と思うのだが、 ひとの絵ばかり描いているわたしは、直接な解放にはなっていない気がする。 ただその間の集中は、大きくわたしを助けてくれているので、平静なる別世界として役立ってくれている。 言葉にしてみることが一番かもしれない。 放り出されて活字となった言葉はどこまで正直であるか いかようにも理解され、誤解され、 それゆえに実直さと精度を必要とされる 感情を材料にして、思考をもって感情をこねくり回して、 ひとまずわたしというものをとらえること 言葉から見えるわたしということ その現象 こんなとりとめのない文章をしばらくは 書いてまいる所存でござる (というか今までも、きっととりとめなかったはず…汗) 遠い空を見たよ 来週16日より企画展に参加します。 「イラストレーターが挑む寺山修司の言葉」 2020/10/16(金)~10/22(木) Bunkamura Box Gallery わたしは足を運べないのですが、グッズをいくつか取り扱っていただきます。 ▲
by loopmark1210
| 2020-10-10 22:06
| 日常記
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●カテゴリ「イラストレーション」にて、イラストを更新しています。
●ネットショップ、オープンしました! ![]() ●齋藤さち子ホームページ 「Loopmark」 ![]() 活動情報、作品閲覧、経歴など紹介しています。 ●寺山修司LINEスタンプリリース開始! ![]() イラスト担当しました。 ●お仕事のご依頼ありがとうございます。こちらが窓口です(ネット入稿対応しております)。お問い合わせ、ご感想もこいらからどうぞ↓ mail@loopmark.org ●このブログに掲載されている写真、画像、イラストを無断で使用することはお控えください。 カテゴリ
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