カテゴリ:日常記( 206 )
寂寥とは何ぞや
朝歩きなんてものを始めてしまった。
ゴミ出しのついでに、そのまま歩いてしまうのである。
朝の空気はいいなぁ。

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東京でお世話になったお友達のお父さまが
素晴らしかった。
友とはお互いすでに母なしなんだけれど、
友のお父様と来たら、(うちと違って)生活力が高すぎる。

たくさん美味しいご飯、お野菜、フルーツ、たっぷり出してくださった。
旅中、食欲落ちるので、満腹まで食べれなかったのが
申し訳なかったけれど

この量を買ってくるのは大変だろうなと思った。
都内は車を持ってる方が少なく、
お父様も車はない。

この量を買いに歩いてくださったのかぁ
と思うと、なんだか胸が熱くなった。

地方にいるとわからない。
わたしはほぼ車で特売日に1週間買い込む派
楽である
(レッツ運動不足地獄!)

都会ばかりいいなぁいいなぁと
思うけれど、
不便な点だって
逆にこっちの良い点だって
もちろんある


東京で表現活動をして一斉を風靡した人生の大先輩が
地元に戻り、毎日歩いている
雪の積もった凍てつく平原を
寂寥とした終末のような雪原を
毎日歩いて見て回り、雪をかき、汗をかき、
ツイートしている

なんでそんなことができるんだろうと思った
でも、答えはきっと

彼にとっては
それは
寂寥だけではないからだ


だからちょっとわたしも
マネしてみた。
うん、悪くない
空気と対話してる感じ
そんな寂寥感もないぞ笑


詩歌に興味を持つと、
季語というのが気になってくる
中でも寺山修司は
冬の俳句がすごく印象的である

言葉のコラージュであり、体感したことではないと
言われがちな氏ですが、
わたしはわりと、学生時代に詠んだ冬の俳句だけは
体験に基づいているのでは
と最近思う(初期の俳句はものすごく素直

歩いていると、たしかにある
この北国には、詠まれた冬の片鱗が

そしてそれはまた
寂寥だけではないな
と思う

冬の変化を感じてみるためにも
歩いてみるのはいいかもしれない
ただ津軽はね、歩くのすらハードな日あるよね…(思い出し


寂寥って言葉、朔太郎さんもよく使う。
多用してみました笑
マネばっかり。笑

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馬たん、走ってるところあまり見ない




by loopmark1210 | 2019-02-16 11:27 | 日常記
その名は、パルサー
小学生の頃、父親が乗っていた車は
日産のパルサーだった
この車のことが
わたしは本当に好きだった

当時のわたしが街で見る車、イメージする車は
一筆書きで書けるようなカクカクした
ザ・クルマ

でも、パルサーとやらは
何かが違う
なんだろ、なにが違うんだろ
なだらかなんだよな、
ああいうのなんなのかな、と母に尋ねると

うーん、と唸ってから
さっちゃんが言いたいのは、りゅうせんけいってことなのかな
と答えた。
りゅうせんけい?
なんだろうその、音色のような空気感の言葉は
漢字を教えてもらう

流線形

詩みたい
ますます素敵だ

そうか、りゅうせんけい
うちのクルマは、どうやら流線形とやらなのだ
他のクルマとは一味違うのだ
得意げになり、
わたしは一層パルサーが好きになった

ブリタニカの電子辞書で「流線形」を調べてみた
関連検索で、アール・ヌーヴォーが出てきた
ルネ・ラリックや、エミール・ガレが出てきた
ウィリアム・モリスやミュシャなども
わやわやと

なんだこれなんだこれ
手の上で
めくるめく世界に眩暈を覚えた

思えば、こういう曲線芸術に虜になったきっかけは
パルサーだったのかもしれない

わたしにとって
パルサーへの感謝は大きい
今も素敵な車だと思う

父のパルサーが老朽化して、手放したとき
あれは中学くらいだったのか
いつかお金持ちになったら
わたしがパルサーまた乗せてあげるよ
と父に言った

父は意外そうに
あ、ありがとう…
と言った
それから

「でも、お父さんずっと1番乗りたいの、スカイラインなんだよな…
お父さん、スカイラインの命名コンペに応募してたくらい
スカイラインのシルエットが好きなんだ
だから、スカイラインがいいな」

と言った。

父はいま、ボロボロの軽に乗っている。

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すいません、過去絵再使用。(ちょうど良いのがなく


by loopmark1210 | 2019-01-26 03:42 | 日常記
素敵な諦め
先日、久々に友達に会った
LINEを結構してるので、最近も会った気でいたら、
意外にも結構日が経っていた

雪がしんしん降って
それが津軽特有の濡れ雪で
細かくて
友達がずっと行ってみたかったという
初老のご夫婦が経営されてる喫茶店の窓から
それを眺めて
「せっかく来たから
いろんなとこ行ってみたかったけど
もうなんだかいいよね」って
ずっとその喫茶店にいた
ブレンドのあとは
ウィンナーコーヒーを頼んで

素敵な諦めである

なんかさ
津軽を歩いていたとき
必ず相棒の傘を欠かさず持っていた
車がなくて基本徒歩だったから
お気に入りの薄桃色の
曲線に安いながらも気高さを感じさせてくれた傘は
雪氷のために転ばぬ先の杖
の役割も
長年しっかりしてくれていた

その相棒のことを
その日喫茶店から出て
濡れ雪に濡れに濡れて歩いて
思い出した
感覚すら忘れていた

素敵な諦めである


友達が
「わたしはこの街が好きだよ」
とコーヒーカップを両手で包みながら
言った

「わたしは好きとははっきり言えない」
と言った

そしてその理由をいくつか並べて
素直に好きって言える人が羨ましいよ
なんてことまで
言ってみせた

稚拙すぎる皮肉だなぁ
と、内心
自己演出が過ぎる
まったく
恥ずかしい
と、内心

友達は
そんなことわかってるようだった
そっかぁ、とだけ
言った


ああ


包まれている気がした
喫茶店まるごと
友達と二人まるごと

それを包んでいるのが
あの細かに濡らす雪だということも

もう完全にそれは
わたしの負け
なのである

穏やかな敗北

素敵な諦めは
温みがあり

わたしはそれが
ずっと昔から
好きだったのだ

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by loopmark1210 | 2019-01-22 22:51 | 日常記
また今年も描き書き綴ります。
言葉、てのは難しいな
とずっと思っていて、慎重に慎重に
言葉を選んで来た気がする。

このブログの過去を見ても
どんだけ見えない人に気を遣っていたのだろうと
自分のブログなのに
と思う、なぁ


だって人って変わるものなので、
過去の自分がいまの自分と
同一人物だなんて言えない訳で
それは細胞レベルで実際そうなわけで

でも言葉には責任が伴うのだ
それが怖かった

テレビ出る人はすごいなあと思っていた
ちゃんと責任持って話してるんだもんなぁと
5年、10年、変わらない主張を話してるんだもんなぁと

でもそんなこともなかった
昼のワイドショーで
コメンテーターやってる壮年のタレントさん
過去に過ちを犯して叩かれたのに
同じ境遇に陥ってる人を
その当時の周囲の人のように叱咤していて

そかそか
人は変わるんだ
そして同様に
忘れるんだ

と思いました。


若い時は言葉を使えない
使いたくても、うまく使えない
表現できなくてもどかしくて
そのあたりに
青春の正体なんぞは
あるのかもしれない

でも少し歳を取ると
ちょっと言葉、使ってみようかな、なんて
ふわっと得意げになっちゃうときがやってくる
経験も重ねて

言葉が不得手だから、お絵描きしてたはずなのに
言葉を書いてる
この頃です。


今年もたくさん描きますよ!


さて、どうも、年が明けました。
今年もよろしくお願いいたします。

イノシシガールのご挨拶、とても描きたかったのです。
毎年干支ガール描いてたので(今年喪中ゆえ
でも、イノシシ好きなので、きっとどこかで描くでしょう!

新年早々、東奥日報さんにテラヤマ・キッズ取り上げていただきました。
質問されると、的確な言葉を探すので、言葉の鍛錬になるなと思いました。
寺山修司が「質問」というテーマでいろんなことを答えているんですが、あれ、言葉の筋トレも兼ねていたのかなぁ、なんて。


こちらのブログでは絵の更新と
SNSじゃなくて、ながーく書きたいなってなったとき
例えばこんな真夜中なんかに
(そうです、正月恒例夜昼逆転現象です)

ふわっと更新します。
ふわっ が好きなのです。

たまにこちらも見に来てくださいね。

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笑えんくらいの寒波が襲来した年末年始でした。
ひーーー



by loopmark1210 | 2019-01-07 02:30 | 日常記
育ちの家を歌で詠む試み
一年が終わるのかぁ

なんかもう
三年前くらいから恐ろしく時過ぎるのが速く、
記録取ったり、なるべく振り返ったりしてきたのですが、
どう足掻いてもこの速さは無理だと言うことで
もう諦めました(何を?笑

過ぎていくもんは仕方ありません

11、12月に育ちの家が立て壊しが決まり、
先日まで怒涛の撤去作業を地元でしてきました。

で、複雑な思いも多い土地ですから
いろんなことを感じたのですが、
なんだかそれも過ぎ去ったことって感じで
妙にさっぱりしています。


あ、でもなんか短歌にハマりまして、
撤去作業のあとに歌に詠んでみたんでした。


三階の窓より向かう山頂の

謎の白基地もう見ることはなし


リゾートにはついにならんや辺境の

豪雪地帯の夢のあとさき


カーブの道 チョークで書いた玩具デパート

何度も轢かれそになりながら


またも聞く 紅く染まった山の端は

なぜ逃げぬのだと激昂してなお


つらら群 ひとつ石持ち投げたれば

崩壊しちゃう わが家もろとも



どうですかね。

もう行くこともないんだろうなぁ


写真撮らないと忘れると思ったけれど、

結局余裕なくて撮りませんでした。

家族は誰も撮ってなかったね。


いまはもう部屋にはなにもないので、もう遅く。


短歌って良いなぁと思うのは、

ちょっとドラマ的に自分のことを記録できるところ

脚色が絶対入る

ドラマ的要素もありつつ、抒情を程よく記録できるので、

まぁ育ちの家の記録はこんなもんでいいか


なんかどんどんドライになっていくなぁ

感情に振り回されなくなったというか


まぁ良しとしよう



年内あと一日ですが、

今年は、明日イラスト詩歌を載せて締めようと思います。


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ほんとに咲いた!


(短歌なぁ、ちょっとやってみようかなぁと思ったけども、

結社に入ったりしないといけないんですよね…?


フリーが楽である〜〜」



by loopmark1210 | 2018-12-30 18:40 | 日常記
140字サイクルの海
素敵な女の子が昔いて
ツイッターをフォローしていた

彼女の書くはかなげで美しい文章が好きだった

書くことはいつも悲しく寂しいことばかりだった

それは気のせいさ、そんな日もあるよ
なんて無責任に言ってあげたいときもあったけど
きっとそんなことが一番不快で傷つくだろうし、
どれだけそれが無用かは想像がつく
そんなこんなでいつも眺めてるだけだった

でも、当時のわたしはどこかでいつも思っていた
なぜあなたがそんなことばかり書くの
なぜそうしたものばかり
わたしの目に入ってこさせるの
寂しいのは
あなただけじゃないよ

寂しいツールだ
と、思った
新次元の共時性を持ち、どこまでも共有意識で広がっていきそうに見せて
140字の言葉たちはどこまでも
自己完結で孤独だった
そうした言葉が
手のひらの上で無数に流れていく

ああそうか
自己肯定の、彼女の詩集を
わたしは読んでいるに過ぎないんだ
そうだ、そういう読み方をしよう
共感しようなんて
やめよう

と思ったけれど、
なんだか疲れてしまって
前のアカウント
やめてしまったんだ


その子はもう書くのをやめていた


言葉が流れる
共有性に欠いた言葉が喧嘩を始めて
また過ぎていく
言葉
言葉
言葉


でも、どうしてそこにいるんだろう
どうしてそこに入っていくんだろう今日も
“お手隙”時間なんかに

あの場のエネルギーに
惹かれているからだろうか

悲しげなことを書いたあの子の
儚く光る蛍火のような言葉もまた
エネルギーのひとつに取り込まれて
高速で過ぎていくサイクルの海に
なんだかんだ
魅了されて

生活はこんなにも
侵食されている






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冬なのにこの子ったら初めて花を咲かそうとしているー!

やること多くて、師走でしょうか。

あー詩集よみたいなぁ













by loopmark1210 | 2018-12-21 00:45 | 日常記
10周年!
10周年というやつらしいです。

2008年の11/14からスタートした個展があって、
前日の搬入だった13日を、一応活動スタートの日としています。
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母の誕生日なのです。

ひえ、10周年だって。
つまりは11年。

よく続いたねーと思いつつ、
小さい頃の絵を描く日常をずっと続けていたんだから、まぁそうだろな、と思うこともある。

そして、漫画は20のときにすっぱり諦めたのに、
今また漫画を描く楽しさに夢中になっていて。
不思議です。

あまり自分の中で「これだ!」と決めすぎないのが
いいかもしれない。


で、10周年の当日は
特になにも予定してなかったんですが、
あー少しはなにかした方がいいのかもしれないと、急遽焦り、
妹とカフェでお茶をしてきました。
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なんだか歳を取ると、イベントごとがどうでもよくなる。
イベントよりもしたいことがあって、
そっちを優先しているのに、
いざ世間のイベントの日になってなにもないと
妙な手持ち無沙汰感…

これはこれからの季節注意ですね。
やはりクリスマスケーキくらいは
準備した方がいいなぁ…
でもなぁ、あんま興味ないんだよなぁ…

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とか言って今日はステキな女性に、
上等握り、ご馳走してもらったんですよね!
ぐっふっふ!
これからも頑張ります!


by loopmark1210 | 2018-11-16 23:06 | 日常記
タウン誌「北の街」終刊の知らせ
そうそう、すっかりこちらで書くのが遅くなってしまったのですが(Twitterで気持ちまとめてて忘れていた)、

タウン誌「北の街」が終わります。
12月号をもって終了です。

昭和37年刊行、56年の歴史だそうです。

たぶん、さっつんチャンネルがざっくり15年くらい連載させていただいてるので、
わたしは4分の1くらいは関わることができたのですね。

幸せですよね。
自分の描いた絵が、綺麗に印刷されて誰かの手に毎月届く。
それだけで幸せでした。

それが2年前からは表紙をやらせていただき。
わたし、変化が多い人間なので、
絵もどんどん変わっていきました。
今年の初めと今とでも、だいぶ違う。

でも、このところやっと落ち着いてきたように思います。たぶん。
2年の鍛錬のおかげだと思います。
どう見せたら目につくか、どう描いたら一番効果的か。
独学ながら、日々意識して取り組みました。
もし少しでも良くなっているのだとしたら、
これはひとえに、見て読んでいただいた読者さまのおかげだと思っています。

なんかこういうのって、
社交辞令的なニュアンスでしょ
でも違うんですよ、ほんとにそう思う。
それはたぶん、昨年表紙の絵を集めて個展をしたからなのですよね。

ああ、届いているのだ
絵が良くも悪くも
責任を持たねばいけないと
感じました。

もっともっと届けていくことを北の街でしたかったのですが、
これがタウン誌の限界だと思います。
このネット主流の時代の中で、
稀有すぎる文芸に特化したタウン誌は
10年前に終わっていても不思議ではなかったのです。
意地だったと思います。
その意地の中で
わたしは絵の実践をさせていただきました。

本当に本当に
どうもありがとうございます。

ほんとはTwitterに書ききったので、こっちはそんな書くつもりなかったんですが、
このところ特に文を書くのが好きで、
書いてしまいましたね。。


北の街に一番最初に関わったのは、中1くらいのときだと思います。
小6とかかな?
ニュートンがリンゴを持つ絵を急に必要になったとかで
描いてみてくれないと頼まれました。

で、喜び勇んで描いたものの
刷り上がりを見たら
めちゃくちゃ汚いんです。

というのも、なにも知らないわたしは
そのへんの画用紙に描いたんですね。
で、消しゴムで何回も下絵を消したので、
紙が毛羽立って、インクが滲んで…
でも、綺麗にそこは編集してくれてるのだと思っていたのでした。
しかし、そのままに印刷された。。

ショックでした。
汚い自分の絵にもショックだったけれど、
あのページのコラムを書いた人に
なんてことをしてしまったのだろうと
まだ10代ながら、重く重く感じ取ったのでした。

それからすぐに
綺麗に描きあげる紙や筆記用具を探し集めました。
いま思えば、あの失敗が
一番いまに生きているかもしれない。笑

思い出がいっぱいです。
でもあと一ヶ月あるのでね、
元気にいきましょう。

そして、連載されてた方々も
どうかどうか新しい媒体で
書き続けていただきたいなぁと
そう思っています。(生意気にすみません。
書くことをやめないでくださいね。
媒体が無くなっても
やめることなんて、なんにもないです。
この土地にいて書く人々を
応援しています。

ちょっとかっこつけてるけど、
深夜なのでお許しをば。

Twitterに載せたツイートを写真で引用します。

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11月号も届いてます!
それはのちほど。




by loopmark1210 | 2018-11-08 01:21 | 日常記
寮母力
兄がなんでか、このところずっといる

なんでも仕事の関係で
うちの近所に短期間出向になり、
そこは兄の住居からとても遠いので
ならば居候してしまえと、来たらしい

ふらっと寅さんのように来て
ずっといる
しかも、夫とは趣味が一緒なので、
自分の家にいるより楽しそうである。

問題はわたしである
わたしの家でのルールが乱される
大いに

作家ものの食器を電子レンジにかけようとする
愛用のお茶がみるみる減っていく
旅先で買ったマヌカハニーがいつのまにか瓶ごと無くなっていた(高かったのをちびちび食べていたのに…ほんとに泣いた)
わたしのお昼に食べる納豆がなぜだろう無くなっている

あれ、食べ物に関することばかりではないか

イラつきを募らせながら
早く帰れとっとと帰れ
なんでまだいるんだ、今日もなのかなんでだなんでだ
と、
スルーされる定めの罵声を爽やかに浴びせながら

同時に
わたしは寮母のような役割が好きだな
と認識する

たくさんのご飯を用意するのは好きだ
食べさせてやるのが好きだ

それはお金掛けて栄養士を学ばせてもらったことを発揮できるからというのと(レシピとカロリー以外はほぼ忘却の彼方)
なんだかやはり
わたしは実家的なものが好きなのだろう


土地から逃げたくて逃げたけれど
家族を恨んだことはなかった
家族を苦しめる奴を恨んだけれど(家族のやり方が悪かったとしても)
そいつが住んでるあの土地を恨んだけれど
家族を恨んだことはなかった

そこだけがわたしの
唯一の取り柄なんではないかと
そう思う

なので、今日も
仕方なく
寮母力を発揮しますよ

ところで
寮母力という表現は
大げさだよね

夕飯は
小松菜とひき肉の炒め物



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お昼に一人贅沢に
ここぞとばかり
ほたてチャウダーを食べてやった(しじみちゃん本舗さんの)




by loopmark1210 | 2018-11-07 17:18 | 日常記
ニガウリフラッシュバック
ひとっていくらでも記憶を作り変えられるものなのだな
ひとっていくらでも記憶を作り変えられるものなのだな

大事なので二回書いた

映画「書を捨てよ町へ出よう」を見た記憶は完全に無くしたと思っていて、
本当に見たのだろうか、くらいになっていて
今回のマームとジプシーさんの三沢市公演も
「わーい、初見な感じで観れる〜♪」
と、お気楽わっしょいモードだったのだけど、

見てる間に
ゴジゴジと、缶詰の蓋をこじ開けられ、
封印していた記憶がポトリポトリとこぼれ始め、

うっわ まじか
やめて
と、小さく戸惑い始めたのだった。

それから
一気にフラッシュバックして
わたくしがなにを見たかというと
青森市の冬の狭い
ヒーターの油臭い臭いがする自室で
暗がりの中
パソコンでDVDの「書捨て」を張り付くように見ている自分の姿であった。

すごい猫背で、何回も
エイメイさんの冒頭シーンを繰り返し眺めている。
で、小さい声で

俺の名前は 俺の名前は!

って、冒頭の一連のセリフを一緒に重ねている。

おいおい
わたし、暗唱できたんじゃないか

幕間から動揺している

そうだった 
そうだった
この頃のわたしは、逃げたくて仕方がなかった

誰でもいいから
ここを連れ出してほしい
ここから逃げたい
この部屋から 
町から
出たい

軒先の
日に日に巨大になっていくつららが恐ろしかった

でも、そんな連れ出してくれる人なんて
出てくるわけもないから
言葉に頼るしかなかった

寺山修司の本を読んで、言葉を頼りに
家出をしようと決め込んだ

頼りにするように
家出の前段階の下見のように
恐山へ行き、記念館へ行った
南部むつなんてほぼ行ったことがないのに

それから
失業保険で東京行き実験を何度かするんだけど、
なんだか
不思議な別れと出会いの渦に巻き込まれて
いまこうしてここにいる。
ここに逃げてきた。

どうして封印してたのだろうな
どうして忘れきったのだろうな
それも見事に

青い苦い頃
ニガウリの頃

でも、あの舞台を見て、
同じように感じた人は
わたしだけじゃなかったはず
と思う

苦く苦く苦い
贅沢とも言える苦い時間

エイメイさんが出ていたから
それがよかった


そのあと、DVD「田園に死す」を見直していたのだけれど、
これもまた結構忘れていて、
かつ、自分の目線が変わっているのがはっきりとわかり、やはり驚いた。

家出のビフォアアフターで
寺山修司の作品というのは
受け取り方が変わる
そう感じている。

家出前の窒息しそうな閉塞感
家出後の他人としての視線、客観、そして脚色

では、家出ってなんなのだろう


寺山修司は、言葉はいつも近しいのだけど
映像や演劇はじつは触れるのが少し怖い
カサブタを剥がすようにヒリヒリする

言葉は選び取ることができるけれど
ニガウリのフラッシュバックは
予測できないからだ。

でも
それが原点なのかもしれないと
いまは思っている。


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勝手にテラヤマ・キッズコラボ! withエイメイさん

by loopmark1210 | 2018-11-06 12:17 | 日常記