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インスタで最近イラスト更新多めです。
ブログに載せるの忘れてしまってるので💧、 気ままイラスト更新はこちらをたまに覗いてみてください。 Twitterは離れ気味。 なんだか開く度に心が削がれる気がして…。 情報の使い分けは、心が疲れがちな時は気をつけたいところ。 大手拓次の共感覚の凄さに驚いたり、引き続き詩の世界楽しなこの頃。 らせん堂での引きがこの頃とても良い。うれし! ▲
by loopmark1210
| 2021-02-12 02:16
| 日常記
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もろもろ準備中。
昨年よりずっと行動が規制されてて、 イベント出展も今年の方がずっと難しそうだなぁなんて思うのだけど、 それはそれで別のことが見えてきたりもするので、 やはり独特な、貴重な時間を過ごしているなぁとしみじみ。 サーカスシリーズ、好きだ〜! 中原中也の「ゆあーんゆよーん」がいつも浮かぶ。なのでちょっと怖さもある。 阿部合成の色調はピンクが入ると一気に可愛らしくなるので不思議。 真ん中右上の亡霊みたいな人も、さらにその右上の布間もひたすら不穏。「祝」の文字は意図的に読み取れるギリギリにしてるのかしら。 なんだかこの時期の人間模様と重なって、 とっても重なって、 実はこの絵の良さがイマイチわからなかったんだけど、 いま見られて、本当に感じるものがありました。 鎮魂を描いても、死者の絵を描いてても、阿部合成の描く人物は「手」がとても立派に大きいので、不思議な生命力がみなぎっているように思う。大地に接して働く人の手だなぁとも。 なんと撮影自由でした。 音の鳴らないアプリでひっそり撮る。 撮影が良いか悪いかはわからないんだけど、心に残った作品をしっかり刷り込むという意味では有意義かな。 (でも図録は売れるのかなとそっちの心配してしまう…笑) そして、青森県美はやはり広すぎる…バテた。。 ▲
by loopmark1210
| 2021-02-03 00:09
| 日常記
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昨年から準備してるものがやっと入稿!
楽しい企画になりそうです。 年末からバタバタで、文章を書く時間がない。 文章好きなので、なにか書いてたいなぁ。 まぁ、でも書こうと思っても、再び混乱を呈してきた世情を前に、文章消してしまうんだけど。 今年は冬も異常。 昨年はもう雪なんて降ることないじゃないかしらというくらい過ごしやすかったから、 その分混乱も起きてしまうね。 ただもうあれだけ車の損傷や、果ては命の危険を感じるほどの降雪であれば、 コロナよりも前に、リモートで仕事ができるような社会であるといいのにな。 北国はもっとリモートを導入するべきなのだ。 それだけのリスクなんでないかなぁと思う、降雪や凍結は、その上での歩行や車走行は。 とはいえ、ラニーニャ現象は抜けそうらしい。 これから穏やかな冬になるだろか。 砂漠化した雪はなかなかに寂しい。 歩くのも楽しくない。 雪はやはり踏んだときにキュッキュッと音を立ててくれないと。 ▲
by loopmark1210
| 2021-01-13 23:19
| 日常記
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どうにも考え込んで沈みがちな時間があって、少し経って振り返り、
あれ、これはホルモンのリズムと一致してるんじゃないだろうか、と思い当たった。 これまであまり意識したことはなかったが、 周りの同性の人でもそうした周期的な心の症状に悩む人がいるし、全く関係ないということはきっとないのだろう。 たしかに自分の沈む時期というのは、わりと一定の期間を置いてやってきている気がする。 となると、うーん、 うーん、 つまらんな、と思ってしまう。 となると、自分の気持ち、心と信じているものは生理的な現象を反映したものということになるじゃないか。 単なる電気信号から発生するもの、というわけじゃないか。 宮沢賢治は『春と修羅』で 「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」 と書いているけれど、、これを読んだとき、どこか抒情的でありながらもバッサリと「電気信号としての自分」を言い切ってしまうのがすごいと思った。 感覚に浸るというのは世のものでは計り知れない、もっと精神世界な、神様的なものであるとどこかで信じてきたのだけれど、 そろそろその考えも変えていかないといけないのかな〜…と思っていると、 ラジオからものすごい最新科学ニュースが入ってきた。 〈 ボディシェアリングロボット 〉 ちょっとこのことは正確に説明できないので、気になった方は調べてほしいのですが、 つまり「感覚」という言葉では100%伝え切れない「非言語」を、電気信号として体にそのまま伝えてしまおう、というものらしい。 例えば、「目で技を盗め」と言われる職人系の時間を要する鍛錬も、この技術を装着して使うと、職人の実際の感覚が自分の手で実感でき、習得が早くできる、ということらしい。 この技術は生活のものすごい広く細かいところまで応用できるということだ。 まさにガラリと世界の仕組み、生活の仕組みが変容する。 目から鱗だった。 じゃあ、わたしが物思いに沈む切ない気持ちなんかも、電気信号に置き換えて 「はい、齋藤さんはこんな感じで思ってるそうです」と他者に提示できてしまうのか… (あっ、大したことないと思われそう!) 朔太郎が当時張り裂けそうな思いで執筆した心情もデータを綿密に取り、電気信号に置き換えて、 「はい、こんな風です」と提示できてしまうのか… 「体験」できてしまうのか… これは「非言語」であるゆえに尊重されているあらゆる表現、「詩的さ」や「抒情」にも大きく影響するのではないのだろうか。 感覚だけは個人にだけ委ねられていて、それを他者に伝えるのは言葉しかない、 そんな時代は終わりを告げるのかもしれない。 以前に、早く攻殻機動隊の時代にならないかと思っている、というブログを書いた。 つまり、自分が期待していた時代はそういう「電気信号化された感覚」の時代… うーん、そこまでは考えていなかった。 しかし、自身の器を入れ替えるというのは、感覚を移すということだもんなぁ。。 そのニュースを聞いてしばらく茫然と、わりと今後の未来の表現に対して悲観的に思ってしまったのだが、 いまはどうしても脅威として受け止めてしまってるだけで、好転することもかなり多いのだと思う。 うん、なるべく楽しい方にとらえよう。 と、思いながら、 「わたくしという現像は単なる電気信号」 であることを、 やはりいまのうちにすっかり認めてしまった方が良いな… とも、はっきり思ったのであった。 誕生日一緒なのをいいことに、一緒にお祝いしてもらった。 「美味しい」という電気信号、一等好き。 ▲
by loopmark1210
| 2020-12-11 01:57
| 日常記
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とても不思議な形で夢に祖父が出てきた。
もうすでに記憶が曖昧なのだが、とにかく予想外の登場の仕方で あれ、おじいちゃんじゃん!なにしてるの! という感じだった。 ずっと会いたかったんだよ〜 と伝えることができた気がする、たぶん。 祖父は狭いアパートに住んでいたときでさえ、 昭和の文豪っぽく浴衣を着て、ゆったり籐椅子に腰掛けていた。 そして、時折養命酒を飲むのだった。 大正最後の年に生まれた祖父は品というのを崩さなかった人で、自ら作った威厳の中で静かに微笑んでいるという印象だった。 そしてそれは、当時のわたしの周りの「おじいちゃん」と呼ばれる人たちとは全く違っていて、 それゆえにわたしは祖父が好きだった。 祖母は、そんなに祖父についてなかなか大変な思いをしたらしい 娘である母も、同様に大変だったらしい わたしはちょうどよく離れた血縁と時間のために、祖父をシンボルのように、好きという気持ちだけで思い続けることができる これだけは得だ。 ファンだけの気持ちでいられるというのは。 ああ、にしても何も思い出せない ほんとに思いがけなかったんだ。 目が覚めて、布団の水平線を見つめたまま 「夢におじいちゃん出てきた…」 と笑って呟いてしまったほどで それから数秒後に気づいた。 今日は祖父の誕生日だったのだ。 今日仕上げた猫、そういえばおじいちゃんに似ている。 ▲
by loopmark1210
| 2020-11-27 18:45
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使命感を持って生きることが
この生を幸福にする手段であるとは思っているのだが、 まるでその使命感を持つことが、 別の何かを諦めて、や 別の何かをできない代わりに、 という風になってしまうかもしれないこと 多くの人がそういう気持ちでいるのかもしれないこと が、ちょっとだけ虚しくなる。 なるべく感じないようにして、 というのも、そうしたことは自分の想像力を足してあっという間に増幅してしまうから なるべくミニのままに留めておいて ひと呼吸 貪欲ではありたいね しかし、日々時間とともに確実に失われていく体力や精力(こころの力の意)を どこに向けるか というのは同時に考えていかないといけないのだなぁと 早々と夜になってしまって無数の車のライトが通り過ぎるバイパスに車を走らせながら 思った なんかもうこんな太古の人がこんな美しいもの作ってたらもう 何をなすべきかなんて愚問のように思えてくる、ひたすら ▲
by loopmark1210
| 2020-11-25 18:52
| 日常記
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オーダーイラストのご感想いただいたので、掲載いたします(感激!)。 レコードがたくさんの壁に飾っていただきました。 グランジがお好きとのことで、自然とそんな雰囲気の少年?少女を。 画像下よりご感想です。 「カートコバーンのグランジな雰囲気を持ったこに、憧れのギタリスト使用のファイアーバードを持たせて欲しいとオーダーしました。 ギターや服装など細かく再現して頂いて、大好きなアーティストさんのコラボが実現して嬉しいです! 女の子の表情がイメージにピッタリでとても好きです。 一生の宝物になりました」 ありがとうございます! オーダーはイラスト料金+額装代+郵送代でお受けしています。 気になる点はお問い合わせくださいませませ。 ▲
by loopmark1210
| 2020-11-23 17:32
| 日常記
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古着のトレーナーを買った。
「スウェットって言うらしいよ」と友が言ったが、いいのだ、これはトレーナー。 樋口一葉一枚でトレーナー二枚、コーヒーが飲めるほどのお釣り うむ、なかなか良い買い物をした。 冬場の静電気がひどくて、化繊をめっきり着なくなった。そして、寒暖差に弱いので、この頃は起毛のものが恋しくなった。 そこで、古着のトレーナーである。 この頃の市販のトレーナーは(トレーナーに限ったことではないが)、ほぼ確実に化繊が混じっている。また、綿100と謳ってる手頃なものは頼りないほどに薄い。 もう以前のように厚手の綿ものが作れる時代ではない。それに気づいてからもっぱら古着を買うようになった。 古着を着ている、とかいうとどこかお洒落に感じるが、否、あくまでもただ綿クエストの結果である。 ストリート系? なんだそれは。 思えば小学校の頃、みんなトレーナーを着ていたのだ。 今のような「子どものお洒落」という概念は一切なく、わたしたちみんな冬はトレーナー、夏はデカめのTシャツを男女関係なく卒業するまで着せられた気がする。 性差がないという意味で、とても平和な時代でもあった。 肌なじみの良いお気に入りのカラシ色のトレーナーには、koshino junko というロゴが書いてあった。 友達のトレーナーには、koshino hirokoとあった。 なんなのかさっぱりわからない謎の共通項。 これコシノって読むらしいぞ、お前ら姉妹だなー! と笑われたりして、なんのこっちゃと思いもしたが、のちに実際リアルコシノ姉妹を知ったときはその強烈なインパクトに驚いた。 コシノトレーナーには必ず「since」と入っていて、koshino と since という二つの単語は、以降、街で見つけたりすると異様な愛着を感じる奇妙な単語となった(みうらじゅん的なものもある)。 たまにネットでも、「お、ちょっとこれいいな」と思ってトレーナーを買ってみたりする。 届いて、重くてちょっとがっかりする。 なんでもそうだか愛着を持って着続けられるかどうかは、重さもかなり大事である。 昨日買ったトレーナーは 起毛で、軽く、丁寧に使い古された綿のやわらかさ、たたんだときのゆるやかさ、なにより暖かさ、 すべて上位得点をつけられるものではないだろうか。 うむ、やはり良い買い物をした。 わたしはさっそくほふほふと袖に腕を通す。 暖かさがじんわり効いてきた満足で、冷凍の今川焼きをレンジでチンする。 ぬくぬくのトレーナー ぬくぬくのおやき ぬくぬくのほうじ茶 あの頃と同じ ああ、のすたるじーなるかな 冬である。 sinceがないのだけが残念。 ▲
by loopmark1210
| 2020-11-17 17:15
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最近、とにかく読書をしている。これまでの反動か、現在生きてる方が書いた文もよく読むようになった。
小説、詩、エッセイ、短歌、俳句…形態はさまざま。 イベントが終わって、外向きの自分からどうにもうまく切り替えられずにいて、 それゆえかこの時期の読書もなんだか不思議な感覚がある。 これまでは読書というのは、内なる自分に響くもので、完全に内向きであったはずなのに、ここ数日はどうも外向き、誰かに会いに行く感覚で読んでしまっている。 しかも、作品は現在のものでも近代のものでも関係ないらしい。 「外向き」の自分と、「内向き」の自分とで読書感覚が違うというのは、かなり大きな発見だ。 前者は妙に実践性を帯びていて、ちょっと戸惑う。役立てたい、となにかしら思っているらしい。 後者は一歩も動かず佇んで、足の裏から伸びた根っこと通底する感覚に浸って、安堵している感じ。 えーあれ、ちょっと待って、これがまさか 「書を捨てよ 町へ出よう」の感覚なんだろか!? この文における書とは「一度読んだ本」という意味だと誰かが言っていた。誰だっけ? 寺山修司はとにかく「実践」を促す作家だなぁと思っている。やってみたらいいじゃん、と半分放置して言ってくれる感じ。 そうか、そろそろ読んできた本を役立てろってことかしら 大きなイベントに単独で初めて参加して、その興奮からまだ醒めないだけかもしれない。 しかし、そういう暗示をかけるのは悪いことではないのかもしれない。 今日は、活動開始記念日でもあった。 外向きすぎてすっかり忘れていたのを、友人が教えてくれた(よく覚えててくれたな!)。 2008年からスタートしたので…ええと〜 とりあえず、ケーキを買って一応お祝いをしました。こまめにちゃんと祝った方がいい!と言われまして。こういうのを言ってもらえるのもありがたいね。わたしは自分の誕生日も結構億劫になるタイプ(洗い物増えるとか考えてしまう)。 小さなホールケーキかロールケーキを買おうかと思ったけれど、ケーキ屋さんにはカットケーキしか置いてなかった。 そうか、そういうのは、みんなで集まったときに食べるものなぁ…と 改めて、集まらないことを強制されているのだと気づく。 我々の、ホールケーキの豊かさにどっぷり浸る自由と権利が、近いうちに戻りますようにとお祈りして、ショートケーキのいちごをパクリした🍰🍓 ▲
by loopmark1210
| 2020-11-14 00:06
| 日常記
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あおもり古書市、二日間の出展無事終了いたしました。 ご安全に配慮し開催してくださった三ノ月舎さま、スタッフの皆さま、ありがとうございました! また、ご一緒できた出展者さま、ブースに立ち寄ってくださった皆さま、ありがとうございました! 楽しい時間を過ごさせていただきました🙌📗 以前ブログにも書きましたが、単独での大きなイベント参加はほぼ初めてだったのではないかと思います。 ゆえに緊張が多少あったのですが、ブースを見てくださる方とのトークがとても楽しくて発見も多く、充実した二日間でした。 毎回家から往復したのでヘトヘトになりましたが、なんというか長距離の帰り道は満たされたヘトヘトでした。 そして、素敵な本を何冊もゲットできました! 古書市の醍醐味! ああ、本っていいなぁ 本に特化したイベントが青森にできて、 また今年は無理かと諦めていた中で参加することができ、とても嬉しかったです。 また参加できるように、今後も精進して描いてまいります! 頭上には太宰のページインスタレーション、なんとも贅沢でわたしにはとてももったいない配置…! 嬉しかったです、ありがとうございます! ▲
by loopmark1210
| 2020-11-09 21:34
| 日常記
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●カテゴリ「イラストレーション」にて、イラストを更新しています。
●ネットショップ、オープンしました! ![]() ●齋藤さち子ホームページ 「Loopmark」 ![]() 活動情報、作品閲覧、経歴など紹介しています。 ●寺山修司LINEスタンプリリース開始! ![]() イラスト担当しました。 ●お仕事のご依頼ありがとうございます。こちらが窓口です(ネット入稿対応しております)。お問い合わせ、ご感想もこいらからどうぞ↓ mail@loopmark.org ●このブログに掲載されている写真、画像、イラストを無断で使用することはお控えください。 カテゴリ
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