人気ブログランキング |



両親に似たお二人に会った。
両親に似たお二人に会った。
と言っても、彼らはわたしより年下で、なんならわが両親よりもずっとしっかりしてらっしゃる雰囲気をお持ちなのだけど。

「わたし、運転できないので、移動は夫頼りなんです」
この地方の町で車を使用できないというのは、なかなかの不自由ではないだろうか。すぐにそう思ったが、
お二人はご夫婦でひとつの事業をされているから、生活時間はいつも一緒、車が必要となれば旦那さんがいつでも出せる状態なのだ。

わたしの母も車の運転はできなかった。
というか、自転車に乗ることもできなかったくらい、「なにかを操る」ということを苦手としていた。
しかし、母と父は同じ事業を運営していたので、やはり移動はいつでも父によって解決されていたのだ(あとはバス)。


話を聞いて珍しいな、と思いながら、すぐに車内での様子が想像できた。

母と父、二人で前の席に座り、子どもにはわからない仕事のことを、いつもより低めの声でひっそり話し合っている。
時に嬉しそうに、時に眉間にシワをよせ、時に思い切り仲違いをしながら。

子どもたちは後部座席の隙間から、その様子をさりげなく繊細に察知する。
そして、ひとつの会話が終了した間合いを見計らうと、さぁいまだ!とばかりに、アニメのテーマなんかを歌い始める。
母は驚いて振り返るが、もうその顔は働く事務のひとではなくて、馴染み深い日常の顔に戻っているのだ。

こうしたオンオフが、わたしたち子どもによって時に切り替えられることを、わたしたちは楽しんでいたように思う。
もちろん、単に歌いたいから、というのもある。

二人は「両親」以外に、なにかしらの共同体で、それはどうやら難しさを伴うものらしい。
そんなことを、わたしは幼少期、父の運転する車の中で覚えたような気がする。

そして、父と二人で出かけるときなどに、母のものである助手席に座れるというのは、ひとつの特権のようで嬉しかった。
わたしもその共同体の一員になれた気がして、得意げになったのだ。


別れの挨拶をして外に出ると、仕事回りのための荷物を積んだ白いミニバンが、玄関の前に寄せられていた。
わたしの先ほどの想像は、さらに具体的な外観を得たことになる。

微笑ましく眺めながら、自分の車に乗り込んだ。

ふと、もう一度、叶えられたらいいのにな、と思う。
助手席に座った母の後ろ姿。
わりにしっかり記憶に残っているけれど、もう一度後部座席から、なで肩の彼女を見つめてみたいなと思うのである。

両親に似たお二人に会った。_f0228652_17095902.jpg
陶芸進捗。

ところでミニバンって全くミニじゃないのに、なんで「ミニ」ってつくのだろう。
ずっとジムニー(軽自動車)的なものを想像していた。


参加している企画展が木曜日までです。
趣味がこうじて作った寺山修司ブローチ、ラス1という連絡だけをスタッフさんよりいただきました。ありがとうございます。

渋谷Bunkamura Box Gallery
「寺山修司の言葉展」


by loopmark1210 | 2020-10-20 16:34 | 日常記
<< もどかしき、のこれから 近代&現代文学 >>