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近代&現代文学
現代小説、読んでみたいんだよね」と、ふいにLINEでやりとりしたのは、真夜中のことだった。
驚いたことに友人は次の日、出勤ついでにうちの玄関前のボックスに、袋いっぱいのオススメの本を置いて行った。

ということで、近代文学ばかり浸っていたわたしは一気に現代小説を読む流れに変わった。
しかも、彼女のセレクトではなぜか女性小説が多い。

いま、借りた本の七割ほどを読み終えたところ。
言葉というものは積み重ねる量が多いほど、じっくり染みていくのだな、と実感するのは、この短期間であっても、小説の影響を受けて女性としての自分について俯瞰的に考えるようになった気がするからだ。


川上未映子さんの「乳と卵」は、わたしからすると「よくぞよくぞ描いてくださった!」という感激ばかりだった。

文学的に優れているとか、そういうことはよくわからないが(樋口一葉リスペクトの文体は斬新だった)、
よくぞわたしたちが口に出さず秘めてひた隠しにし、偽の納得心で進むしかなかった孤独を書いてくださったと、自由にしてくださったと、心の中で盛大な拍手をしていた。

それは個人の胸に響くという意味で、小さな革命である気がしていて、
それが万人になったときに動いていくことを想像すると、シビれた。

作品発表から10年ほど経っている。
読後、川上さんのことを調べた。
川上未映子さんはやはり先頭に立って、広く広く目覚ましい活躍を見せてらっしゃった。
うお、シビれる。


近代文学の、もうこの世にいない先人たちの言葉に触れるとき、わたしはどこかで安心していたのだった。
彼らが言葉でもって巻き起こした社会的な動きは過去のものになっている。完結されている。
そうなれば、発掘する考古学のように、古きを知る中に自分個人だけが、沈黙の中で新しさを見つけに行けばいい。

けれども、現代にあって言葉をつむぐ、ということは、人を巻き込み、社会的な未来の動きを担っている、ということでもある。


このことを、わたしはずっと、今日の今日まで知らなかったのだった。

近代文学と現代文学、
この違いはとても大きいし、またそれゆえにこの行き来は想像以上に面白いことなのかもしれない。
そして、おそらく通底する部分にこそ、大いなるものがあるような…


これは、読書の楽しみというひとことで納めていい感覚なのだろうか。
なんだか、興奮している。


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練乳入りベトナムコーヒー


勢いで書いているので、わたしの文章、読みづらかったらごめんなさい。
上手くなりたいのだけれど。


渋谷Bunkamura Box Galleryでの「寺山修司の言葉展」始まっています。
木曜日までです、よろしければぜひ。









by loopmark1210 | 2020-10-18 23:45 | 日常記
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