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Wind blows.  ボブ・ディラン <イラストレーション77>
Wind blows.
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ボブ・ディランがノーベル文学賞ということで、一気にボブ・ディラン熱がやってきた。

ボブ・ディランはフォークやGS好きの父が車の中でいつも必ず掛けていた。もっとも若い頃のディランに限定してしまうけれど。

子供の頃、とりとめもない情景を歌っているのかなーと歌詞カードを開いたら、かなり現実的な描写が多くてびっくりした記憶がある。
ライク・ア・ローリングストーンは今読んでも少し怖い。
どんな気分だい?ってねぇ。


昨年、詩人ランボオにはまって(そのときの記事)、今回ディランがランボオと出会い、表現の大きな転機となったらしいことを読んで、驚きと納得が大きかった。

なんとなく似てる、
光と風と、どうしようもない現実苦みたいなもの。

外国語のリズムや文脈を知ることができたら、もっともっと影響を読み取れるのかもしれないけれど。


顔もちょっと似ている。どこか中性的で、神性というか、浮き世離れした存在感。


ディランは今は激渋なおじいちゃまになっているけれど、ランボオも晩年はあの透き通るような美しさが全く消えて、中東の現地人と違いがわからなかったほどだという。


流浪な感じも似ている。

「自分」というのがいまいちはっきりしていなくて、でもはっきりと時代をまとっている感じも似ている。



シュルレアリスムをちょっと勉強したときに、
ランボオはデカルトの「わたしは考える」という考え方を否定したと読んだ。

ランボオは
そうではなくて、
「だれかがわたしを考えている」、「だれかがわたしにおいて考えている」
だと。


ディランはその言葉に出会ったとき、「これだ!」と、とても気が楽になったとか。


なにかが、ランボオ、ディランの体を通して表現しているものをわたしたちは聞いている。

二人は時代の代弁者、吟遊詩人であるけれど、それは二人において自発的に出てきたものではなくて、時代かなにか、風みたいなもの、もしかしたら神様のようなものが彼らに表現させたということかな。

もっとも中年以降のディランはいまやっと聴き始めたくらいなので、昔といまはまた違うのかもしれない。

しゃがれた声もいいなぁ。


父親の聞いていた音楽には昔から思い出がある。

いつも紐解いてみたいなと思いながらなかなかそんな余裕がなくて、歌手の方が高齢や病で亡くなって、それで改めて聴き直すということがとても多い。

それはあまり良い機会ではないなあと反省する。

ディランについては、今触れることができて、とても良かった。

調べたら、「風に吹かれて」は公民権運動が背景にあったんだな。
これまた好きな曲のスコット・マッケンジー「花のカリフォルニア」はベトナム戦争反対のウッドストックだとか。
人と音楽がともにある感じ、時代背景を紐解くと面白い。




ところで、12月は3つほど展示会に出させてもらえそうです。
青森市と八戸市のグループ展、
そしてもう1つが父世代の音楽が奏でられる場所(十和田)での展示。

ちょっとその時代の音楽に感謝を込めて、音楽に関するものを展示させてもらおうかなぁ。

もちろん、ボブ・ディランも入れようと思っています。
by loopmark1210 | 2016-10-27 23:56 | イラストレーション
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